私達は小さな頃から努力をしろと言われてきた。
それはあたかも努力することそれ自体に価値があるかのように称揚される。
「努力することに意味がある」などと言われることもある。
だが、それはおかしいだろう。
私達は良い結果を得るために努力するのである。
努力することそれ自体に価値があるからではない。
では、努力することは必ず善果をもたらすか?
換言すれば努力は報われるか?
学校教育では努力は必ず報われると教えられる。
しかし、それは嘘である。
努力が必ず報われるのなら、誰もが努力することを継続するに違いない。
それが真実ではないからこそ、ある人は努力をしまた他の人は努力をしないのである。
例として大学受験を考えてみよう。
もし努力が報われるのなら、努力した者みなが東大に合格するだろう。
他の例として高校野球はどうだろうか?
これも同様に努力が必ず報われるのなら、努力した者みなが甲子園に出場できるはずである。
ところが、そうでないことを私達は知っている。
成功する資質を持った人の努力だけが報われるのである。
例えばどんなに努力をしても私が野球選手にはなれないだろうし、またバスケの選手にもなれないだろう。
人間には得て不得手というものがある。
それにも拘らず、しばしば成功しないのは努力が足りないからだとされる。
しかし、そうではない。
そもそも成功する資質がないのだ。
だから、大切なのは何に自分が向いているかを見極めることである。
例えば私は昔ギターを趣味にしていた。
8年半前の熱中症の後遺症で弾けなくなりやめたが、仮に熱中症にならずに今でもギターを続けていたとしても、当たり前だがプロにはなれていなかっただろう。
それなのに私はギターを練習することにかなりの時間を費やしていた。
下手の横好きである。
これははっきり言って時間の無駄だ。
もちろん趣味なのだから、それが好きなのなら別にいい。
が、成功という観点からしたら無駄な努力だ。
結論を言うと、努力は必ずしも報われない。
成功する資質のある努力だけが報われる。
そのためにはまず、そのことが自分に向いているかどうかを判断する必要がある。
そして、一度あることが自分に向いていると分かったら、脇目を振らずに努力することだ。