夜のビルの警備員のアルバイトの思い出

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前回書いた西友でのアルバイトをきっかけに、西友が入っているビルの夜の警備員の仕事をすることになった。

時給は西友と同じ1200円だった。

その警備員のバイトを始める前に、雇い主から西友のアルバイトではいくらで働いていらか訊かれて同じ額を貰えることになったのだ。

時給1200円と言ったら、早朝か深夜でないと貰えない額だったので当時は嬉しかった。

仕事内容は西友が入ったビルの各階のエアコンのフィルター交換と、地下のゴミ捨て場にホースで殺虫剤を撒くこと、それと近くの他の建物の警備だった。

仕事は簡単で楽なものだった。

大人になった今から振り返っても、この仕事ほど楽なものはなかった。

今までの人生で断トツで1番楽な仕事だ。

アルバイトではなく社員の人もいたが、この仕事にやりがいは感じられないだろうがストレスを感じることもないと思う。

社員の人たちがどんな仕事をしていたかは知らないが。

このバイトのことも割と覚えている。

社員の人たちの中には自衛隊上りの人や、元バンドマンの人がいた。

プログラマーの人もいた。

その人は20代の前半の時にプログラマーとしてかなり稼いだから、今はそんなにお金が必要ないと言っていた。

この元プログラマーの人は、私が中退した日本の高校の担任と知り合いでびっくりした。

今でも2人がどういった関係なのか分からない。

アルバイトには私の他に2人いた。

1人は私がこの仕事をする前から働いていた大学生で、もう1人は西友での同僚だった。

この西友でのバイト仲間はどうやってこの仕事を得たのだろう?

バイク好きの青年だった。

家が裕福だったらしく、50万円か100万円するバイクに乗っていた。

どうでもいいが。

この仕事での先輩の大学生はシャイなのか、ほとんど会話らしきものをしなかった。

最低限、仕事を習ったのみだ。

元バンドマンの社員の人は私がギターをやっていると知ると、自分の所有するギターの写真を見せてくれた。

今から考えると、自分のギターの写真を持ち歩くなんて余程ギターが好きだったのだと思う。

その時はバンドはやっていなかったが、サックスを練習中だと言っていた。

自衛官の人は変わり者で、元プログラマーの人に嫌われていた。

この仕事はどのように辞めたのか覚えていない。

楽な仕事だったのだから、ずっと続けていればよかったのに。

おそらくは西友のバイトに行かなくなったのと同じタイミングで、この仕事にも行かなくなったように思う。

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