労働は尊いか?---近代性の構造

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働くことが尊ばれるようになったのはいつからなのか?

昔から常にそうであったのか、それとも歴史の中で作られた価値観なのか?

これはダブルチェックをしてないので真実かどうかは分からないが、働くことに価値を見出したのはヨーロッパの近代以降だとある本で読んだ。

それに拠れば労働こそが理性に適う正常な行為であり、怠惰は狂気と同様の異常な性格と考えられ、働かない怠惰な人間は精神病院に収容されたらしい。

<理性/狂気> <労働/怠惰> という二項対立が <正常/異常> という優劣のある二項対立に重ねられ、こうした二項対立が近代社会を構成する支配的価値観になったそうだ。

たしかに、労働が美徳という価値観は歴史的に作られた物だという説には一理ある。

例えば、古代ギリシアアテネでは労働は奴隷によって担われていた。

それによって間暇を得たギリシア人は哲学や美術に没頭し、古代ギリシアでは学問が大いに栄えた。

翻って現代日本の現状を見るに、定職を持ち労働に励むことはもはや立派な大人の必要条件だ。

義務と言ってもいいだろう。

例え実家が裕福であろうとも、成人した男性(女性も?)が働かないでぶらぶらとしていることは許されない。

正確に言えば違法ではないが、世間的に立派なこととは見られない。

もっと言えば、犯罪者予備軍とさえ見られてしまう。

だが、ちょっと考えてみればこれは変なことではないだろうか。

別に定職に就いているからと言って、その人間の人間性が約束されるわけではない。

これは私の考えに過ぎないがおそらく定職に就いているということは、その人間が社会にとってそうおかしなことはしでかさないだろうという保証になっているのではないだろうか。

定職に就いているということだけでは十分でない。

家族も持たなくてはならない。

家族を待つということは何を意味するか?

それは社会(国)に人質をとられているということである。

妻や子供のことがあるから、社会が命ずるような模範的な人間であらねばならない。

このように考えることは、私が反社会的な思想を持っていることだと判断されてしまうのだろうか?