闇金ウシジマくん「ホリエモン主演スピンオフ・ドラマ」

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あの「闇金ウシジマくん」にホリエモンが主演したエピソードがあったことをご存知だろうか。

私は昔ある動画サイト(YouTubeではない)でそのことを知り、ずっと観たいと思っていたのだが先日メルカリでようやく中古DVDを買った。

詳しくは知らないが、どうやらTSUTAYAでのレンタルでのみ視聴が可能だったらしい。

私が買ったDVDもTSUTAYAのレンタル落ちだ。

観た感想を言うとむちゃくちゃ面白かった。

物語はこうだ。

風俗店「エロリアーノ」に毎晩通う「太客H」という伝説の客がいた。

これがホリエモンだ。

そこでHは毎回、風俗嬢相手に役に立つのか立たないのかよく分からないウンチクを披露する。

例えば風俗嬢が不況について愚痴を言うと、Hはデフレ・スパイラルのことを語り出す。

もちろん、風俗嬢はその言葉を聞いたことがない。

だから、Hは小学生にでも理解できるように易しく説明する。

違う時には風俗嬢が借金について話すと、Hは「借金には良い借金と悪い借金がある」とまたウンチクを語り出す。

こうして風俗店に来ているにも拘らず、毎回ウンチクを語って終わるということを繰り返している。

そんなHだが一人の風俗嬢、ジュリアに惚れる。

で、アタックする。

そして敢え無くフラれる。

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そこでHが決意したのが何と全身整形。

悪名高い「シロクマ整形」という店で、大金を払い全身美容整形をする。

美しい容姿になったその上でホストになる。

面白いのは整形後の容姿が変わったHも、ホリエモンが続けて演じているところだ。

劇中ではHは美しく生まれ変わっており、Hが「………でも、僕はこの通りルックスがいいですから」などと言うと周りも納得する。

このギャップが観ていて面白い。

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↑(整形して美男子になった後のH)

最初のうちは慣れないホスト業で上司に怒鳴られてばかりいるが、やがてある金遣いのいい女性が客につく。

彼女はシャンパンなどを頻繁に頼み、それによってHは売れっ子になって行く。

その彼女は笑いながら「お前、顔イジってんだろ?」などと何度もHに訊くのだが、実は彼女はHが全身整形をした「シロクマ整形」の社長の新しい若奥さんだった。

彼女は真実(Hが全身整形をしたこと)を知っていたのだろうか。

ドラマの中では明らかにされてない。

Hがホストクラブで給料を受け取る時に、上司から彼女と「シロクマ整形」の関係を聞かされギクっとするのみである。

そんなある日、客としてジュリアが来る。

かつてHがいれあげた風俗嬢だ。

全身整形をしたHに彼女は気づかず、ホストのHと風俗客のHは全くの別人だと思う。

彼女は周りでイケメンと噂になっている、ホストのHを目当てにここに来た。

イケメン好きな彼女はすっかりHのことが気に入り、店の外でHと一緒に温泉に行くことまで約束する。

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Hは今やナンバーワンで、常連の客(ジュリア)にも気に入られている。

ホストとしての給料も物凄い札束で、全てが順調に思えた。

ホストクラブの入り口への階段を登っていた時、ジュリアがHの誕生日を訊きに来る。

答えに窮すH。

本当の誕生日を言えば、整形前のHと同一人物だとバレるからだ。

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返答に困って立ち尽くすHの給料袋を、階段を降りてきた金髪の兄ちゃんがふんだくる。

借金取りの男だった。

Hは「シロクマ整形」での法外な全身整形代のために、色々な金融機関から借金をしていたのだ。

更に整形で容姿が変わったのをいいことに、借金を返さずに行方をくらましていた。

Hが全身整形によって容姿が別人になったことで、債権者たちはHの居場所が分からず途方に暮れていた。

そんな時、カウカウファイナンス(「闇金ウシジマくん」に出てくる山田孝之が社長の闇金屋)が全債権を買い取ったのだ。

この金髪の兄ちゃんもカウカウファイナンスの社員だ。

目の前で真実を聞かされたジュリアは、「ゲッ!お前、あの太客Hかよ!ふざけんなよ!」と言って去って行く。

これで物語は終わりである。

興味がわいたら、是非TSUTAYAでレンタルして欲しい。

観る価値があることは請け負う。

きっと満足するだろう。

ヴィパサナ瞑想体験記

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私はこれまで3回、10日間の泊まり込みの瞑想コースに参加したことがある。

それらはいずれも同一の組織によって運営されているもので、ヴィパサナ瞑想と言う。

初めてヴィパサナについて知ったのは、21歳の時に行ったインドでだ。

旅行者の間ですごくいいらしいと噂になっていた。

何をやるかというと、朝4時から夜9時半まで1日10時間を10日間ぶっ続けで、ひたすら眼を閉じて最初の数日間は自分の呼吸を観察し(=呼吸に意識を向ける)、コースの中盤以降は頭のてっぺんから足の先までを順々に観察して行く(=身体の部位に意識を向ける)。

頭のてっぺんから足の先まで観察し終わったら、また頭のてっぺんに戻ってその身体の部位に意識を向ける。

頭のてっぺんから足の先に行き、また頭のてっぺんに戻って徐々に足の先に行く。

そして、その次も同じことの繰り返しだ。

頭のてっぺん→足の先→頭のてっぺん→足の先→頭のてっぺん………

これを瞑想の時間中(60〜120分)、休憩時間が来るまで永遠に続ける。

その間、誰とも眼を合わしてはいけない。

もちろん、誰とも話してはならない。

ただし、うろ覚えだが指導する立場にいる瞑想の先生には必要ならば質問をしてもよかったはずだ。

瞑想の最中に蚊に刺されたらどうするか?

蚊が身体の何処かに止まるのを客観的に観察し、更にその蚊に刺されるのもじっとして観察するのだ。

決して蚊をはらったり殺しては駄目だ。

そのような瞑想を10日間続けるとどうなるのか?

何か効果はあるのか?

これがあるのだ。

精神が落ちついて平和な気分になる。

それだけではない。

満ち足りた幸せな気持ちになる。

たぶん、軽い悟った状態なのだろう。

実際の「悟りの境地」といったものがどういうものなのかは分からないが、恐らく悟った状態とはこのような精神状態の延長にあるのだと思う。

だが、残念ながらその瞑想の効果は時間の経過とともに薄れてくる。

出家したお坊さんなら年がら年中瞑想漬けの日々を送れるだろうが、一般人はそうはいかない。

なので、瞑想コースでの経験をどう日常生活に活かして行くかが問題だと思う。

いずれにせよ、瞑想には実際にある一定の効果があるということを記しておく。

興味のある方は下のURLに問い合わせてみて欲しい。

Vipassana Meditation: 日本

Amazonでの新品同様の古本の買い方

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私はよく本を買うが、最近はめったに新品では買わない。

その代わりにAmazonやメルカリで古本を買う。

新品では買わないが、古本で買う本は美品でないと嫌だ。

私の場合、ほとんどフェチと言っていい。

僅な書き込みやドッグイヤーも許容しない。

メルカリでの美品の買い方については、このブログの過去記事に書いてあるのでそちらを読んで頂きたい。

これ↓だ。

Amazonでの書き込みやドッグイヤー、ページ折れなどのない美品の買い方についてだが、その中古商品を出品しているお店の選定が大事だ。

私が太鼓判を押すのは「もったいない本舗」という出品者だ。

私は過去に最低でも100冊、場合によっては200〜300冊の古本をAmazonで買ってきたが、商品状態が「非常に良い」で「もったいない本舗」が売っているものにはハズレがない。

新品同様の古本ばかりだ。

また、万が一、買って届いた古本に満足がいかない時には返金対応してくれる。

私は過去に「もったいない本舗」に返金を求めたことがあるが、すんなり応じてくれた。

ちなみにその時は商品状態が「可」の古本を買った。

7年くらい前のことだと思う。

まだ「もったいない本舗」を利用したことがあまりなかったので、実際の古本の状態が記載されている商品のランクとどう対応しているかがよく分からなかったのだ。

だから、「非常に良い」でなく「良い」や「可」でも新品同様が買えるのでは?と思った。

それで試しに商品状態が「可」の古本を買ったのである。

尚、Amazonにて中古商品の状態が「非常に良い」とあっても安心してはいけない。

私は過去2ヶ月間に「ネットオフ」から「非常に良い」古本を2冊買い、その2冊ともにページ折れがあったので返品したのち返金してもらった。

「ネットオフ」の場合には返金してくれたのでまだいい方だ。

出品者の名前は忘れたが、購入した古本に書き込みがあったので返品&返金をお願いしたところ断られたこともある。

だから、私は「もったいない本舗」からしか買わない。

最後にAmazonでの新品同様の古本の買い方をまとめておく。

①中古商品から商品状態が「非常に良い」を選ぶ。

②「非常に良い」状態の商品の出品者の中から「もったいない本舗」を選ぶ。

③万が一、購入した本が届いて商品の状態に満足できなかったら返品&返金をしてもらう。

ゴキブリ撲滅のためにブラックキャップを買った

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台所にゴキブリが出た。

一昨日1匹、昨日3匹だ。

今日はまだ見ていない。

台所は少し前に大掃除をして、それまでよりかなり綺麗になったと思うのだが。

私はゴキブリが大嫌いである。

大の男だが、ゴキブリを見ると寒気がする。

なぜゴキブリはああも気味が悪いのか。

できれば2度とゴキブリには遭遇したくないので、ゴキブリ対策にブラックキャップという商品を買った。

数ヶ月前にたまたまネットでそれについての記事を読み、その記事によればブラックキャップは非常に優れた対ゴキブリ製品とのことだったからだ。

これ↓がブラックキャップだ。

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昨日の夜にAmazonで注文し、今日の午後に届いた。

さっそく台所とトイレと洗面所に仕掛けた。

冷蔵庫の下や流しの下、棚の中や引き出しの中などあらゆる所に忍ばせた。

ブラックキャップを設置する場所は、商品の箱の裏に書いてあった絵を参考にした。

ネット上にもその画像があったので、ここに載せておく。

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36個入りのを買って、36個すべてをゴキブリが出そうな場所に置いた。

ついでにゴキブリホイホイも全部で10個設置した。

しかし、何で掃除をして綺麗?になっているのにゴキブリは出現したのか。

そういえば数年前に鼠が頻繁に家に出たのだが、今は1匹も現れない。

どこに消えたのか。

それはさておきゴキブリである。

ブラックキャップに効果があって欲しい。

今回のこのゴキブリ対策が上手く行ったかどうかは、当ブログにて進捗を報告する。

最初の報告は1ヶ月後になる。

乞うご期待。

国語力向上計画【大学入試・現代文奮闘記】②

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またセンター現代文の過去問を、今回はきっちりと時間を守って解いた。

評論と小説にそれぞれ20分ずつだ。

前回の時に学んだのだが、評論・小説とともに問題の文章はそれぞれ10分程度で読むのが時間配分としてよい。

問題は6問あるので(評論・小説ともに)、1問につき1.67分。

できればもう少し時間が欲しいが、問題文を10分より短い時間で読むのは難しい。

さて、実際にセンター現代文の過去問を解くのは今回で2度目だが結果はどうだったか。

結論から言うと、時間が全然足りなかった。

小説では最後まで文章を読むことができず、問題も半分しか解けなかった。

何とその小説の文章は9ページにも渡り、約5000文字もあったのだ。

点数も評論と小説の合計で100点満点中55点だった。

前回より点数が低いが、前回の113分と比べて今回は40分で解いたのだから仕方がないだろう。

点数が悪いこと以上に私を不安にさせるのは、問題の答えの解説を読んでも納得できない場合だ。

論理的な正しい答えの求めかたが分からなければ、次に活かしようがないからだ。

また、受験のプロたちは一様に「現代文は感覚で解くものではない」と言うが本当にそうだろうか。

仮に論理的に正しい答えを導き出せるとしても、極めて時間制限の厳しい試験の最中にその作業を行えるかどうかは疑わしい。

結果的に問題の選択肢の中から、何となく正しそうなものを消去法で選ぶしかないのではないか。

大学受験の現代文の問題については、真っ向から否定する派とそれなりに認める派の両者がいる。

例えば、石原千秋という文学部の大学教授は否定派だ。

どのくらい本気かは知らないが、センター試験廃止を主張している。

彼によればセンター試験の小説は文学とは何の関係もないそうだ。

作家の安部公房も自分の小説からの一節が大学受験の国語の問題に使われた事について、それは「大意を述べよ」とあったが大意なんてない、あったら勿体ぶらずにそれを書くと言っていた。

一方でセンター試験・現代文を擁護する意見もある。

問題として作成している以上、正しく論理的思考をすれば誰でも正解に辿り着けるようになっているということだ。

どちらが正しいのかは分からないが、私はとりあえずこのまま大学受験現代文を勉強して行く。

何はともあれ私に必要なのは速く問題文を読むことだ。

最後まで問題を解き切れないのに、点数が悪いことを嘆いても始まらない。

メルカリでの上手な買い物の仕方

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私はよく本を買うが大抵の場合、メルカリかAmazonで中古本を安く買う。

その際に気をつけないといけないのは安いかどうかということではなく、その本を本当に読みたいか否かということである。

分かってはいるのだが、ついつい安い価格帯の本に手が伸びてしまう。

身についた悲しい貧乏性である。

私の場合、値段以上にこだわるのが本の状態だ。

書き込みやドッグイヤーがあるものは絶対に駄目だ。

本は読むための物だから、それが綺麗かどうかは重要ではない気がする。

だが、やはり私には無理だ。

一種のフェティシズムである。

そのため商品は、状態が「新品、未使用」か「未使用に近い」物の中から選ぶ。

その際に頭に来るのが、書き込みなどがあるにも拘らず商品の状態を「未使用に近い」と書く輩がいるということだ。

そのような場合には商品の返品をして、購入代金を全額払い戻してもらう。

私はメルカリで購入した商品に不備があった時には出品者に返品&返金を要求するが、今までそのやり取りで困ったことは1度しかない。

そのトラブルにあった際には、メルカリ事務局に間に入ってもらって事なきを得た。

購入した商品に不備があって返品&返金を相手の出品者に要求する時のため、私は必ず商品を買う前に書き込みやドッグイヤーがないかどうか確かめる。

言質を取っておくのだ。

しかし、メルカリは競争が激しい。

安い価格で人気のある商品が出品されると、コメント欄で悠長に出品者に質問している間に他の誰かにその商品を買われてしまう。

では、どうすればいいか。

私の編み出した裏技はこうだ。

取り敢えず、その商品を買ってしまう。

そして、購入後の取引画面で書き込みやドッグイヤーの有無を尋ねるのだ。

その際に、書き込みやドッグイヤーがあればその商品の購入をキャンセルしてくれと頼むのだ。

これ(購入後に、商品の購入をキャンセルしてもらうこと)はもしかするとメルカリのルール違反で、ペナルティを食らうかもしれない。

多用は控えたほうが無難だ。

稀にプロフィール欄か商品説明の欄に返品お断りと書いてあることがあるが、メルカリではそのような事を書くのはルールで禁止になっている。

万が一そのように言われたら、メルカリの規則で禁止されている行為だと相手に伝えよう。

最後にメルカリでの買い物の際の注意点をまとめておく。

①商品の状態が「新品、未使用」か「未使用に近い」の物から選ぶ。

②商品の購入前に、コメント欄で書き込みやドッグイヤーの有無を確認し言質を取っておく。

③届いた商品に不備があったら、そのことを指摘して返品&返金をしてもらう。

④もし超お買い得な商品があったら、迷わず買ってしまう。そして購入後の取引画面で書き込みやドッグイヤーの有無を尋ね、もしあれば購入を取り消してもらうよう頼む。

ポジティブになりさえすればいいのか?【ポジティブ病批判】

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アメリカの行き過ぎたポジティブ・シンキングの例として、「癌は贈り物」と互いに言い合う癌患者たちのことが批判的に書かれていた。

その記事を読みながら、「いるいる、そういう人」と思った。

例えば私は障害を抱えているが、「障害者になって良かった」などとは口が裂けても言わない。

確かにそういうことを言う障害者はいる。

だが、私はそういう姿勢を好まない。

みっともないとすら思う。

誰がどう見たって障害を抱えているよりか健常なほうがいい。

にも拘らずそのことを認めないのは、単なる負け惜しみである。

癌になって良かった、障害を抱えるようになって良かったなどと言う(思う)のは、もはや立派な病気だと思う。

ポジティブ病だ。

この病に侵されている人はそこかしこにいる。

20代前半の頃、ある人物とクラブに行ったのだが何らかの理由で中に入ることができなかった。

すると、この男は「いいよいいよ、どうせつまんなかったに決まってるよ!」と言ったのである。

上手く言えないが、私はそのようなことを言うのは恥ずかしいことだと思った。

何故なら彼も私もクラブに行きたかったからだ。

彼も内心ではクラブの中での体験が、つまらないに違いないなどとは思ってなかったはずだ。

そうであるのに、それを正直に認めない。

それどころか望んでいたが得られなかった対象を貶めたりする。

その行為はイソップ寓話の「酸っぱい葡萄」そのものだ。

知らない人のためにそれがどのような話かを、Wikipediaからの引用で書いておく。

お腹を空かせた狐は、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。食べようとして懸命に跳び上がるが、実はどれも葡萄の木の高い所にあって届かない。何度跳んでも届くことは無く、狐は怒りと悔しさから「どうせこんな葡萄は酸っぱいに決まっている。誰が不味そうな葡萄なんか食べてやるものか」と負け惜しみの言葉を吐き捨てると別の食べ物を探しに去っていった。

クラブに入れなかった程度のことを負け惜しみするのはまだいい。

しかし、これが癌や障害のこととなるとかなり見苦しい。

本気で癌になったことや障害を抱えるようになったのを良かったと感じていたら、相当な病気だ。

ま〜、彼らの考え方が分からないでもない(彼らが実際どのように思考しているかは知らないが。。。)。

癌や障害を抱えているという事実が変えられないのなら、せめてその事実の受け止め方を自分に楽な風に変えたほうが合理的だとでも言うのだろう。

だが、それでもやはり私はそのように考えるのに抵抗がある。

はっきり言って嫌である。

客観的に外から自分を眺めた時に、滑稽ではありたくないからだ。

ある種のダンディズムかもしれない。