知識を頭に入れておくことの重要性

最近では大抵のことは検索して知ることが可能なため、自ら読書をしたりして知識を蓄えておくことに対して疑義、または「意味ないじゃん、そんなこと。何でも検索すりゃいいんだから」とか言う人間が多いが、完全に間違った認識である。

インターネット時代の現代においても、読書や勉強によって知識を頭の中に入れておくことには大きな意味がある。

まず、ネットの情報は玉石混交なため、正確な情報を得ることが難しい。

その上、自分が知りたい情報にアクセスするまでに膨大な時間がかかる。

たとえば以前、「パレスチナの地は神によってユダヤ人に約束されていたのか?また、そうだとしたら「旧約聖書」のどこに書かれているのか?」と疑問に思ったのだが、実際にネットで調べてみると一向にわからず、最終的にはユダヤ人の友人にWhatsApp(というラインのようなアプリ。海外ではラインより遥かに普及しており、暗号化されたプロテクションは信じられないくらい強力だ)で訊き、「「旧約聖書」の「トーラー」において約束されている」とわかった。

また、あるときは「遺伝情報は核の中にあるのかな?」と疑問に思ったのだが、これまたネットで調べてもそのページの内容が難し過ぎたため理解ができず、仕方がないので家にあった大学受験用の生物の参考書を読みやっとわかった(遺伝情報は核の中にある)。

それと重要なのが何かのアイディア=発想を思いつくためにである。

まったくの無から何か新しいことを生み出すというのは考えられない。

斬新なアイディアに見えても、それは既存のアイディアの組み合わせだというのが正しいだろう。

そこで重要な働きをするのが頭にある知識量だ。

仮に2つの既存のアイディアから1つの新しいアイディアを生み出す場合、頭にある知識の量が10だとすると45通りの組み合わせができる。

これが、知識の量が100なら4950通りの組み合わせになる。

知識の量が10倍なだけで、実に110倍の新しいアイディアが生まれる可能性があるのだ。

さらに知識量が1000だとしたら499500通りの組み合わせとなり、知識量が10の場合と比べて11100倍だ。

結論・・・読書や勉強によって知識を蓄えておくことは非常に価値がある。

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