(「私の黒歴史」の過去記事はこちら↓)
またしても私の黒歴史についてである。
前回は私が落合信彦の愛読者であったと告白した。
今回もそれに劣らず恥ずかしい。
私は俳優のリバー・フェニックスの熱烈なファンだったのだ。
ただのファンではない。
猛烈な行き過ぎたファンだったのである。
若さとは怖いものだ。
常軌を逸していた。
どのように行き過ぎていたかというと、部屋中がリバー・フェニックスの写真でいっぱいだったし、リバー・フェニックスの載っている雑誌はもちろん全て買い、挙句の果てには雑誌ロードショーかスクリーンに広告があった怪しげなお店に1時間くらいかけて電車で行き、2万5千円ほどしたリバー・フェニックスの生サインを買った。
本当に馬鹿である。
そんな所にハリウッドスターのサインなど売っているはずがない。
そのリバー・フェニックスだが、1993年に薬物の過剰摂取による心不全のため死んだ。
私が14の時だ。
クラス中に私のリバー・フェニックスへの偏愛は知られていたので、その死去のニュースが流れると学校では皆が私をからかった。
そして中学3時の時には卒業文集の寄せ書きに、「Forever River Phoenix!(リバーよ、永遠なれ!)」などとわけのわからないことを書いた。
また、尊敬する人を言う場合にはリバー・フェニックスの名前を挙げていた。
「は?」である。
誰かに尊敬する人を尋ねて芸能人の名前を答えられたら、答えた人の頭がおかしいと思うだろう。
私が尊敬している人としてリバー・フェニックスを挙げたのは、彼が菜食主義者で森林保全の活動をしていたからだ。
だから何?って感じだ。
もちろん、リバー・フェニックスを本当に尊敬していたわけではない。
ただ単にその名前を言いたかっただけである。
重度の厨2病だ。
このように私はリバー・フェニックスの過度なファンだったので、学校で私はホモの疑いをかけられた。
私はホモではない。
しかし、その疑惑は当然だろう。
仮に誰かが男でキムタクの熱狂的なファンだとして、もし彼の部屋が一面キムタクの写真で覆い尽くされていたら、私もその男を同性愛者かと間違うと思う。
私のリバー・フェニックスへの愛は、落合信彦へのそれよりも長続きしなかった。
私は22歳ぐらいまで落合信彦のファンだったが、リバー・フェニックスのことは高校卒業の頃には忘れていた。
(「私の黒歴史」シリーズ↓)