またセンター現代文の過去問を、今回はきっちりと時間を守って解いた。
評論と小説にそれぞれ20分ずつだ。
前回の時に学んだのだが、評論・小説とともに問題の文章はそれぞれ10分程度で読むのが時間配分としてよい。
問題は6問あるので(評論・小説ともに)、1問につき1.67分。
できればもう少し時間が欲しいが、問題文を10分より短い時間で読むのは難しい。
さて、実際にセンター現代文の過去問を解くのは今回で2度目だが結果はどうだったか。
結論から言うと、時間が全然足りなかった。
小説では最後まで文章を読むことができず、問題も半分しか解けなかった。
何とその小説の文章は9ページにも渡り、約5000文字もあったのだ。
点数も評論と小説の合計で100点満点中55点だった。
前回より点数が低いが、前回の113分と比べて今回は40分で解いたのだから仕方がないだろう。
点数が悪いこと以上に私を不安にさせるのは、問題の答えの解説を読んでも納得できない場合だ。
論理的な正しい答えの求めかたが分からなければ、次に活かしようがないからだ。
また、受験のプロたちは一様に「現代文は感覚で解くものではない」と言うが本当にそうだろうか。
仮に論理的に正しい答えを導き出せるとしても、極めて時間制限の厳しい試験の最中にその作業を行えるかどうかは疑わしい。
結果的に問題の選択肢の中から、何となく正しそうなものを消去法で選ぶしかないのではないか。
大学受験の現代文の問題については、真っ向から否定する派とそれなりに認める派の両者がいる。
例えば、石原千秋という文学部の大学教授は否定派だ。
どのくらい本気かは知らないが、センター試験廃止を主張している。
彼によればセンター試験の小説は文学とは何の関係もないそうだ。
作家の安部公房も自分の小説からの一節が大学受験の国語の問題に使われた事について、それは「大意を述べよ」とあったが大意なんてない、あったら勿体ぶらずにそれを書くと言っていた。
一方でセンター試験・現代文を擁護する意見もある。
問題として作成している以上、正しく論理的思考をすれば誰でも正解に辿り着けるようになっているということだ。
どちらが正しいのかは分からないが、私はとりあえずこのまま大学受験現代文を勉強して行く。
何はともあれ私に必要なのは速く問題文を読むことだ。
最後まで問題を解き切れないのに、点数が悪いことを嘆いても始まらない。