(「私の黒歴史」の過去記事はこちら↓)
今ではすっかり行き過ぎた英語学習熱に否定的だが、かつての私は英語教の信者だった。
英語ができることこそがその人間の頭の良さの証明であり、英語ができることはクールでカッコいいことの条件であるとさえ思っていた。
そして、英語を話せる自分はイケてると思っていた。
白人の友人を持ち、彼らとつるんでいる自分をカッコいいと思っていた。
しかし、そんなことはない。
全ては幻想だ。
英語ができることは頭の良さの証明になどならないし、カッコ良くもクールでイケてることの条件にもならない。
また、超恥ずかしいことに昔の勘違いしていた頃の私は日本人同士で英語で会話することもあった。
ある時、私はタイのバンコクにいた。
そこで私は日本とギリシャのハーフのKさんと英語で会話をしたことがある。
私たち2人とも母国語は日本語だった。
では何のために英語で会話をしたのか?
ずばり、カッコつけるためにである。
その時、遊んでいた仲間に英語を話せない者がいた。
彼はいい意味でシンプルな人物だったので、私たち2人が英語で会話をしているのを見て次のように言った。
「すげぇ!英語でも意思の疎通できんの?」と。
それに対して私は、「英語も日本語も話せるから、Kさんとは英語で会話しても一緒だよ」とか言った。
大嘘である。
ちなみに、そのKさんとは後に絶縁した。
約10年前に些細なことで口喧嘩になり、それ以後は話してない。
Kさんは私よりも10歳ほど歳上だったが、成人してから働いたことがないという筋金入りの無職だった。
実家が特別裕福なわけでもない。
将来は親からの遺産の1000万円をインド人の知り合いに預け、インドで死ぬまで暮らすことを計画していた。
今頃はどうしているか知らないが、1000万円をインド人の知り合いに預けるというのは絶対に詐欺だからやめたほうがいいと思う。
話が逸れた。
違う時には友人のU君と、U君はフランス語で私は英語という無茶苦茶な会話をしたことがある。
新年のお台場のマックだった。
私も私だが、U君もU君だ。
2人ともバカ丸出しだ。
20代の前半だったと思う。
その後、私の英語かぶれは30過ぎまで続いた。
英語教に対して批判的になったのはここつい2、3年である。
それまでが徹底的に英語にかぶれていたので、その反動で今ではかなり英語教に批判的だ。