私は今でこそ度を越した英語学習熱や英語神話に否定的だが、かつてはかなり英語教に洗脳されていた。
それは海外ドラマ(アメリカのドラマ)やハリウッド映画の影響によるものだったかもしれない。
また、洋楽もそうか。
英語ができることはカッコよくて、頭の良さの証明になると思っていた。
そして、英語を話せて白人と一緒に行動している自分のことをイケてると思っていた。
だが、そんなことはない。
別に英語が話せることは特別にカッコよくはないし、頭の良さの証明などにももちろんならない。
そういった思い込みは、英会話スクールに都合がいいだけなので捨て去ろう。
英語が持っているこのイメージのおかげで、英会話業界はどれほどの恩恵を享受していることか。
この英語が持つイメージはどのように形成されたのだろうか。
洋楽やハリウッド映画の影響で、自然と英語がカッコいい物と認識されるようになったのか。
それともアメリカなどによる国策であろうか。
そのような陰謀論を考えてしまう位に、英語教の洗脳は広く行き渡っている。
特に日本における英語を取り巻く環境は、倒錯していると言わざるを得ない。
もちろん、英語はできないよりはできたほうがいい。
当たり前である。
しかし、目的を果たすためには支払わなければならない代償が常にある。
英語を習得するためには莫大な時間と労力が必要だ。
レベルの高い大学に受験で合格するためや外資系企業に就職したいのなら、英語の勉強は必須であり私もとやかく言うことはない。
また、世界中の人と話せるようになりたいという人もいるかもしれない。
その場合も確かに英語を話せるようになれば、世界中の人とコミュニケーションが取れるようになるだろう。
問題はそれら以外の目的で英語を勉強する場合だ。
特に英語を習得する必要や目的はないが、なんとなく英語を勉強しなければならないと考えている人。
そのような人には断言する。
別に英語なんてできなくていい。
街中や電車などで外国人に英語で話しかけられても、「Sorry. I don't speak English.(すみません。私は英語を話せません)」と堂々と言えばいいのだ。
英語なんてできなくても恥ずかしがることなんて全くないのである。