私の黒歴史③極度の欧米かぶれだった
(「私の黒歴史」の過去記事はこちら↓)
これもかなり恥ずかしい。
私は幼少期にはそんなことはなかったのだが、中学生になってから20代の後半まで極度の欧米かぶれだった。
健全な欧米贔屓ではなく、欧米&欧米人に対するコンプレックスの塊だった。
白人に対する劣等感が酷かった。
きっかけは以前、このブログで話したリバー・フェニックスに熱中したことだ。
しかし、今これを書きながら思うのだがなぜ男なのに男に夢中になる?
理解に苦しむ。
聴く音楽も洋楽だった。
AC/DCというバンドが好きで、「エーシー・ディーシー」ではなく「エースィー・ディースィー」と発音していた。
イタい。。。
また、当時、日本ではXジャパンが流行っていたが、私は何様のつもりか「日本人がロックやってもカッコ悪いよ」などとうそぶいていた。
とんだ欧米礼賛である。
正確な時期は思い出せないが、中学3年か高校1年の時にはアメリカへのホームステイ・プログラムに参加した。
今から振り返ってみると不思議なのだが、当時あれほど欧米にかぶれていて将来は海外に移住したいと思っていたにも拘らず、英語を勉強しようなどとは全く思わず学校での成績も悪かった。
アメリカでのホームステイから帰国すると、私の欧米かぶれはもはや止まる所を知らなかった。
これが行き過ぎて、日本の学校を辞めてアメリカの高校へ編入するということに繋がった。
しかし、アメリカでの留学生活は期待していたものとはかけ離れていた。
日本の高校を卒業して、日本で大学受験をするべきだった。
こうしてアメリカ留学には失望したのでアメリカの大学へは進学しなかった代わりに、21の時にインドへバックパッカーをしに行った。
この頃にもまだ私の欧米コンプレックスは健在で、日本&日本人は世界で下に見られ嫌われていると思い込んでいた。
何故だかはわからないが、酷い被害妄想である。
それ故に海外で認められた日本人には誇りを持っていた。
インドの後に行ったタイでは、メキシコ人に間違われて喜んでいたのを思い出す。
今では全くこのようなコンプレックスや被害妄想はない。
むしろ世間にはびこる英語神話や欧米礼賛に違和感を感じる。
どのようにしてそれらを克服したのかは自分でもわからないが。
(その後の「私の黒歴史」シリーズ↓)