私達は小さな頃より学校の先生や親からこう言われてきた。
本を読みなさい、と。
世間では読書を無条件で良いものと見做す傾向がある。
だからこそ、教師や親は子供に読書を奨励するのだ。
しかし、本によっては毒を持っている場合がある。
「罪と罰」の主人公のラスコーリニコフは自らの殺人を論理的に正当化しており、物語の最後までその事に関しては良心の呵責を感じていない(なお、新潮文庫版の背表紙のあらすじ紹介には、ラスコーリニコフはリザヴェータを2人目に殺したことによって罪の意識に苦しみ云々とある。私は複数回「罪と罰」を読んでいるのだが、私の誤読だろうか?だが、ここではラスコーリニコフが第2の殺人によって良心の呵責を感じたか否かは重要ではない。問題はラスコーリニコフが彼の最初の殺人を論理的に正当化しており、それが読者の納得のいくモノだということだ)。
私は19の時に「罪と罰」を初めて読んだのだが、小説の中で殺人が正当化されていることに強い衝撃を受けた。
今までに「罪と罰」を読んで殺人を犯したというケースはないのだろうか?
仮にそういう事件があったとしても、なんら驚くにはあたらない。
それ程にあの小説にはインパクトがある。
このように読書によっては読者を悪い方向に導く可能性がある。
読書は危険な行為にもなり得るのだ。
もちろん読書にはメリットもある。
知らない言葉や漢字の読みを覚えたり、自分個人では経験できない事柄を疑似体験したりできる。
知識を得たり思考力が養われたりもする。
平成25年度(2013年)の文化庁による「国語に関する世論調査」によると、1ヶ月に1冊も本を読まないという人が半数に近い47.5%を占めていた。
1、2冊が3分の1の34.5%、5冊以上読むと答えた人は7%に過ぎない。
流石に月に1冊も本を読まないのはどうかと思う。
やたらと読書をすべきだという風潮も好まないが、読書を全くしなくていいというのにも賛同できない。
究極的には好みの問題になるので、ある物語を活字ではなく映像によって楽しみたいという人には、無理をしてその物語を本の形で読む必要はない。
しかし、何らかの形で読書はすべきだと思う。
そうでないと知性が鈍ってしまうだろう。