文豪の自殺

芥川龍之介

芥川龍之介は生後まもなく母親が発狂し、それ以来、親戚の家を転々とする。  

以後、優秀でなければ捨てられるという恐怖に怯えることとなる。

この暗い幼少期の境遇が生涯にわたり影をさす。

成績優秀であった彼は東京帝大へと進学し、在学中より小説を創作する。

小説・「鼻」が夏目漱石から絶賛され、輝かしい文壇デビュ〜を果たす。

数々の短編小説を書き上げ大正時代における文壇のスタ〜となったが、親戚が莫大な借金を抱えながら自殺したことにより、その借金の肩代わりをした芥川は首が回らなくなる。

そして、35の若さで自殺。

一般的には睡眠薬による服毒自殺と言われているが、晩年は日中から睡眠薬でべろんべろんになっており耐性がついていたため、青酸カリによる自殺説が囁かれている。

 

太宰治

太宰治、本名・津島修治は青森県でも有数の豪農の11人兄弟の10番目の子供として生まれる。

一族は75万坪を有する大地主であり、父親は貴族院議員として多忙な毎日であった。

旧制高校生時代に、憧れていた芥川龍之介の自殺を知り強い衝撃を受ける。

それ以来、高校生の身でありながら遊廓に通いだす。

東京帝大仏文科に進学するも授業に一回も出席せず、卒業資格試験において試験官から「教授の名前を1人でいいから言ってみろ。言えたら卒業させてやる」と言われるも言えず見事に中退となる。

中退後、銀座のバ〜の女給と知り合い心中することに。

が、相手の女性だけが死に太宰は助かる。

その後、師匠の井伏鱒二の仲介で結婚。

しばらくは精神の安定した時期を過ごし、小説の執筆も順調に進む。

戦後に書いた「斜陽」はベスト・セラ〜となるも、愛人の山崎富栄と共に入水自殺。

享年36。

 

三島由紀夫

三島由紀夫、本名・平岡公威は祖父の代から続く官僚の家に生まれた。

祖父は樺太庁長官まで上り詰めた人物だが、後に失脚した。

父親もまた官僚であった。

三島自身も専業作家になる前は大蔵省に勤める官僚。

しかし、二足の草鞋を履くのは大変だったようで、友人に小説家として一本で生活したいと相談する。

そして、「仮面の告白」の担当編集者であった坂本龍一の父親の勧めで専業作家となるべく大蔵省を辞す。

以後、多くの小説を書き昭和を代表する作家となる。

ノ〜ベル文学賞を日本人が受賞したとの伝えを聞いた時には、師匠の川端康成ではなく自分のことだと思ったそうだ。

小説家として活躍するだけでなく、俳優やボディ〜・ビルなどにも打ち込む。

次第に右傾化してゆき、自衛隊が正式な軍隊でないことを嘆く。

また、日本という国そのものをも。

まさに憂国の状態であった。

1970年11月25日、盾の会のメンバ〜と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入。

自衛隊員相手に決起を促す演説を行うも失敗し割腹自殺を遂げる。

享年45。

 

川端康成

川端康成についてはよく知らない。

三島由紀夫の師匠であったことやノ〜ベル文学賞を受賞したこと、そしてガス管を口に咥え一酸化炭素中毒死しこの世を去ったことぐらいである。

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