日本語でも英語でもある、共通した同じ意味のことわざを挙げてみる。
①Nothing ventured, nothing gained.
これは「If nothing is ventured , nothing is gained.」の略で、「 venture 〜」は「〜を危険にさらす」「リスクを取って〜する」という意味の他動詞なので、直訳すると「もし何も危険にさらさないのなら、何も得られない」となる。
日本語のことわざだと「虎穴に入らずんば虎子を得ず」だ。
②The apple doesn’t fall far from the tree.
直訳は「リンゴはその木から遠く離れた場所で落ちることはない」で、その意味は「子供は親に似ることが多い」だ。
リンゴを子に見立て、リンゴの木を親にたとえたことわざだ。
日本語のことわざだと「蛙の子は蛙」になるが、この英語のことわざはネガティブなことにもポジティブなことにも使える。
例えば、
A: Congratulations on your win!
B: Thank you.
A: Your father was a fantastic sprinter. I guess the apple doesn't fall far from the tree.
のように。
③Birds of a feather flock together.
「birds of a feather」とは「(たくさんある中から)1つの種類の羽の鳥」→「同じ羽の鳥」という意味だ。
分かり難いかもしれないので補足する。
ここに色々な羽があるとする。
小さかったり、中くらいだったり、大きかったり。
色も赤、青、黄色とそれぞれだとする。
その中で、「birds」はみな小さくて黄色の羽をしているとする。
このような状態が「birds of a feather」だ。
たくさんある羽の種類(小さくて赤、小さくて青、小さくて黄色、中くらいで赤、中くらいで青、中くらいで黄色、大きくて赤、大きくて青、大きくて黄色)の中から1つの種類の羽(小さくて黄色)。
違う例を挙げてみる。
「These desks are all of a size.」という英文があるとする。
「of a size」は「(たくさんある中から)1つのサイズ」→「同じサイズ」の意味だ。
文章全体では「これらの机はすべて同じ大きさです」となる。
最初の英文に戻る。
「Birds of a feather flock together.」の「flock」は「群がる、集まる」の意味の自動詞だ。
文章全体は直訳で「同じ羽の鳥は一緒に群がる」となり、「同じ羽の鳥」→「似たもの同士」から「類は友を呼ぶ」の意味になる。
④The early bird catches the worm.
「早起きの鳥は虫を捕らえる」から「早起きは三文の得」の英訳として充てられている。
⑤The grass is always greener on the other side of the fence.
訳すと「フェンスの向こう側の芝生は常により青い」となり、これは日本語の「隣の芝生は青い」と同じだ。
⑥It is no use crying over spilt milk.
「It is no use 〜ing」は「〜しても無駄だ」の意味で、「"spilt milk(こぼしたミルク)"について嘆いても無駄」から日本語の「覆水盆に返らず」と同じことわざになる。
⑦There’s no smoke without fire.
意味は「火がなければ煙は存在しない」で、日本の「火の無い所に煙は立たぬ」と同じだ。
⑧kill two birds with one stone
直訳は「一つの石で二羽の鳥を仕留める」。
日本語の「一石二鳥」だ。
そのまんまだ。
⑨If you run after two hares, you will catch neither.
「hare」とは「野うさぎ」のことである。
「もし2匹の野うさぎの後を追えば、どちらも捕まえられない」。
日本語の「二兎を追う者は一兎をも得ず」と全く同じだ。
①⓪Don’t count your chickens before they hatch.
直訳すると「孵化(ふか)する前にヒヨコの数を数えるな」で、「成功する前にその後の事を計画するな」という意味だ。
日本語の「取らぬ狸の皮算用」に当たる。
①①Time is money.
これは「時は金なり」。
そのままだ。
①②(Cast) Pearls Before Swine.
直訳は「豚の前に真珠(を投げる)」で、日本語の「豚に真珠」と同じことわざだ。
聖書に由来する表現だ。
①③an eye for an eye (and a tooth for a tooth)
「目には目を歯には歯を」。
こちらも「豚に真珠」と同様に聖書で使われている表現である。